ロスト・イン・トランスレーション

 
          
 
 
 
 
ウィスキーのコマーシャル撮影のため来日したハリウッド・スターのボブ(ビル・マーレイ)。彼は滞在先である東京のホテルに到着すると、日本人スタッフから手厚い歓迎を受けるが、異国にいる不安や戸惑いも感じ始めていた。さらに、電話やFAXでのやりとりから妻との間に心の行き違いが生じ、時差ボケもあいまって気分が滅入ってしまう。
同じホテルには写真家の夫の仕事に随行してきた若妻シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)が滞在していた。新婚にもかかわらず多忙な夫にかまってもらえず、孤独を感じていた。
ホテルで何度か顔を合わせた2人はやがて言葉を交わすようになり、いつしかお互いの気持ちを分かち合うようになる・・・。
 
 
ろくに言葉も通じない異国の地(Far East (「極東」!))に、ひとり放り出され、如何ともしがたい孤独感と、表面上は「欧米の仮面」をかぶった“TOKYO”という不可思議な都市の中で感じ取ったカルチャー・ギャップに対する戸惑い――
 
表向きは、さほど自分自身の出自の文化とは遠くはないかもしれないと感じながら、どこかしら何とはなしに「違和」を感じ始める――
 
滞在する時間が長くなり、しかも、孤立する状況に置かれるにつれて、じわじわとその「違和」が募り、「異邦人」としての自分自身の不条理さやいたたまれなさが耐え切れない状況になってくる――。
 
それぞれに温度差はありながらも、同じように、そうした思いを募らせていた二人は、ふとした巡り合わせで、お互いが「共鳴」し合うように出会った。

そして、「出会い」は、ふたりがそれを共有していることを確認し合うところから始まり、深まってゆく。

 
 
しかし、彼らの間にある関係性は、ストイックなほどに「内省的」である。
渋谷やら六本木やら夜の街で「ナイトクラビング」にうつつを抜かして馬鹿騒ぎをして「やんちゃ」の限りを尽くしながら、決して一線は越えない。
 
ふたりの「かかわり」は、まるで「鏡」のようである。それぞれが同じように「『違和』に囚われた『異邦人』」という境遇にあることを確認し合いながら、ひたすら自分自身を見つめ、「自分さがし」をしているように見える。
 
モチーフとしては非常に似ているが、そこが恋人までの距離(ディスタンス)などとはまったく違った印象を抱かせる理由であろう。 
 
 
 
ところで、何よりもインパクトがあったのは、背景にある舞台となった“TOKYO”という街の姿である。おそらく、この世のどこにも存在しないであろう街である。

欧米人にありがちな、珍奇な「異文化」を見る眼差しで、多少誇張気味に描かれているところもあるが、それでも、いつも見なれているにもかかわらず、今までに決して見たことのない街・・・。
 
西欧文化のまがいものっぽいガジェットや安っぽいシミュラークルに覆い尽くされ、表層だけで上滑りしているような“TOKYO”の街――
しかし、この映画は、この街の深層をも透かして見せてくれているように思った。
異なった時間の流れの中にあって、静かで昇華された「精神性」に満たされた空間としての「トウキョウ」である。
 
ラストシーンのバックに流れる「ジーザス&メリー・チェイン」の "Just Like Honey" の切なくも清々しいメロディー。
このシーンに触れられただけでも、この映画を観る価値があったと思う。
 
 
名画である。

カテゴリー: 「だし」は映画 パーマリンク

ロスト・イン・トランスレーション への2件のフィードバック

  1. めぐみ より:

    あら~、東京が舞台って珍しいですねぇ。ストーリーは読んだ限りではありがちな感じがしないでもないですが、映画って文字には出来ないものが沢山ありますものね。ドリーミング_ボディさんお勧めですか?興味わいてきちゃいました。それにしてもフォトギャラリーの中の東京ってば、なんて無機的(- -;)日本て見慣れているからそう思うのかもしれないですけど、建築物に色気がないような気がするんですが…?それにしても、舞台は東京でも、そこにいる日本人は背景の一つでしかないみたいですね(^^;)今日墓参りに行きました。東京の真ん中にあるんですが、表通りはお洒落の最先端の町であることを誇っていて、ブランドショップが軒を並べているけれど、一歩裏に入ると昭和の風景が残っていたりするんですね…そんなところに、東京の意外な魅力を感じてしまう私でした。でも、これは外国人にはわからないノスタルジーなのかな?

  2. DREAMBODY より:

    この映画は、実は音楽(サウンドトラック)の方から興味を持って、観た映画でした。監督、ソフィア・コッポラは、本当に趣味がいい(というか、わたしと趣味が似ている(それは、デビッド・リンチやヴィム・ベンダースなんかにもすごく言えるんですが・・・)。感性が合うんですね。「音」の方から。そして、映像がまた、「音楽」のようでもある。そんなふうに感じてます。この映画のサントラ盤も、\’One of My Favorites\’ です。「異邦人」っていうのは、案外に、そこに定住している人たちよりも、固定観念が無い分だけ、その文化の深い「位相」を的確に嗅ぎ取ることができる――そんなところもあるかも知れません。ただし、ガイドブックなどの偏った知識で侵され切ってしまった場合は別ですけど。どんなことにも言えると思いますが、マニュアルとかガイドブックとかにとらわれず、自分の目で見て、自分のハートで感じること、「自由」であること―これが一番大切なことかなって思います。この映画の主人公たちは、そういう意味でステレオタイプな「ガイジン」ではなかったように思います。そういうスタンスから見た「トウキョウ」は、そこに定住しているわれわれよりも、鋭く深い眼差しを持っているように思えます。たとえ、歌舞伎町とかセンター街とかで夜遊びをしていてもね。これって、「ブラック・レイン」でも感じました。

コメントを残す